バランスを超える



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時を戻そう(いつも通り年を越してしまったからブログの時間を弄って昨年更新した事にするよの訳)


5位:【カリストプロトコル】Striking Distance Studios/クラフトン
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デッドスペースのスタッフが作る新たなサバイバルホラー。
接近戦を強化したことで敵に接近して立ち向かうというコンセプトを推し進めた今作は、より激しさと爽快感とグロさが増した。銃の使いづらさや時間のかかる回復行為などデッドスペースよりも遊びにくいが、それがホラーの緊張感を作り出し、激しいアクションと相まって、恐怖の対象を打ち倒してカタルシスを得るという、サバイバルホラーとしてはより魅力的になっている。
そして相変わらず、今作でも倒れた敵をぐちゃぐちゃに踏み付ける事ができるのが痛快。お下品だし、残酷だし、この部分が引っかかって日本で発売できなかった気もするが、このシステム一つで、爽快感や緊張からの解放や残虐性というサバイバルホラーの特性を一気に表しているのだから仕方ない。


4位:【ゼノブレイド3】モノリスソフト/任天堂
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日本のRPGを遊ぶ度に、序盤で毎回つまづきそうになる。キャラの薄っぺらい馴れ合いばかり見せてくるし、できる事も少ないし、バトルも手応えがない。はっきり言って退屈である。しかもそれが10時間ぐらい続く。
でも、日本のRPGを遊ぶ度に、クライマックスで俺は大興奮している。成熟したキャラクター、インフレするゲームバランス、立ちはだかる強敵、手に汗握るバトル、明かされる衝撃の真実、これでもかと主張されるストーリーのメッセージ、そして訪れる大団円。
とにかく中心にあるのは物語とキャラクターの活躍であり、爆発的な反比例曲線を描いて盛り上がる終盤の展開に毎回胸が熱くなってしまう。

そして、ゼノブレイド3はそんなジャパニーズRPGのスタイルを相当なリソースと予算をかけてハイクオリティに仕上げている。しかも全力で。
だって、1本のソフトにムービーを20時間近くもぶっこんでくるゲームなんてゼノブレイドぐらいでしょ。FFや龍が如くや小島監督だってそこまでしない。とにかくストーリーを見せたい、カッコ良いシーンを作りたい、という強い意志を感じた。
いやもう本当に貴重なのよね。ここまでストーリーを贅沢に演出する事ができる日本のRPGは数える程しか存在しないから。
日本のRPGはあんまり売れないので、何世代前だよというくらい映像が貧弱なゲームをよく見る。ムービーではなく紙芝居だったり、人形みたいな動きしかできないキャラクターだったり。
リソースの問題なのでそれは仕方のない事だし、ストーリーと演出さえ良ければ映像がショボくてもある程度カバー出来るけど、やっぱりキャラクターの活躍が大きな魅力となっているジャンルなので、リッチな映像でカッコよく動かして欲しいという思いが俺の中には強くある。でも、実際それが出来るゲームは本当に僅かしかない。
だからこそ、その鬱憤を晴らすようにゼノブレイドがキャラクターを魅せる事を重視して徹底的に日本のRPGスタイルをやり切ってくれたのが嬉しかった。
戦闘は自動化が推し進められていて個人的に好きじゃないし、例の如く序盤はかったるいが、ストーリーと演出がこれでもかと言うくらい派手に強調されていて、俺のストライクゾーンにブッ刺さった。本当に堪能させて貰った。


3位:【AIソムニウムファイル ニルヴァーナイニシアチブ】スパイクチュンソフト
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ゲームはやり直せる。ボタン一つでリセットして、分岐があれば選び直して違う未来を見る事もできる。
だけどそれはプレイヤーから見た視点であって、ゲームの中のキャラクターは、ユーザーという神ならざる手によって翻弄されていることも知らず、自分たちの人生を全力で生きている。
ゲームのキャラクターにとっては、その世界こそが現実であり、やり直しの効かないリアルであり、選択の結果として辿ることになる人生を生きるしかない。それを強く感じさせられるストーリーだった。
だからこそ「自分の選択に後悔なんてしていない」という、とあるキャラクターの言葉が凄く響いた。
ゲームはやり直せる。でもそんなゲームだからこそ、「人生はやり直せない」というテーマを描いた今作のストーリーに感動した。


2位:【ポケットモンスター バイオレット】ゲームフリーク/任天堂
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子供の頃、親との約束で一日一時間しかポケモンを遊べなかったやたさんは、大人になって、最新作のポケモンを一日10時間以上も遊んでいるのでした。


1位:【エルデンリング】フロムソフトウェア
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「ユーザーのために」作られているゲームか、「ゲームのために」作られているゲームか。ゲームは大きく分けて、その2つに分類できると思う。
中にはビジネスの為に作られているゲームもあるけどそれは一旦置いておく。

例えばフロムのゲームで言うなら、「デモンズソウル」 や「ダークソウル」などのソウルシリーズは、ユーザーを尊重して作られたゲームだと言える。
多くの武器やスキルによる多種多様な戦法、幅広いビルド、オンラインによる協力、豊富な救済措置。
ユーザーのスタイルに合わせた幅広い戦略が揃っていて、育成や装備で多少のテクニック不足は補えるし、いざと言うときのセーフティも完備。ユーザーの遊び方を第一に尊重し、ハードコアゲームでありながら、ある程度の根気さえあれば誰でもクリアーが目指せる。ユーザーの為にゲームを作る、それがソウルシリーズだった。

一方で同じフロムでも「ブラッドボーン」や「SEKIRO」となると話が大きく変わる。
「ブラッドボーン」は盾や鎧などの身を守る手段を排除し、遠距離攻撃の存在感も薄めて、プレイヤーのスタイルをある程度統制することで、血に染まりながら激しい死闘を繰り広げる獣のような殺意に満ちた世界観を表現することを重視していた。
「SEKIRO」に関してはもっと極端で、武器は刀一本、レベルの概念もなく、オンラインによる共闘という逃げ道すらなくし、プレイヤーが真正面から強敵とぶつかり合って困難を突破することで真の達成感を得させるというハードコアゲームとしての矜持を優先させていた。
つまるところ、ブラッドボーンとSEKIROは、ユーザーの選択肢や配慮よりも作り手が表現したい物を優先させた「ゲームのためのゲーム」だった。

ユーザーの為に作られたゲームの方が良いのか、ゲームの為に作られたゲームの方が良いのか。明確な答えはない。前者の方が遊びやすく、後者は強い個性が宿っている、という傾向はあるけど、そこに良し悪しは存在しない。
あえて言えば、どちらかに偏り過ぎていると、ユーザーにとっては受けつけ難いものになる。快適なだけで何の記憶にも残らないゲームになったり、もしくは、遊びづらくて理解しにくい独善的なゲームになったりする。
だから基本的にはバランスを取る。ソウルシリーズもブラッドボーンやSEKIROも、明確な方向性はあるがどちらかに100%偏っていることはなく、70%はゲーム側に寄っているけど30%分はユーザーに寄り添った取り組みをしたり、その逆も然りだったり、そうやって調整している。
如何にして、作り手がゲームで表現したいことと、ユーザービリティに折り合いを付けるか。それは多くのゲームの宿命であり、そういう葛藤がゲームプレイ中に伝わってくる事はよくある。

フロムの最新作である「エルデンリング」はどうなのか。
基本的なプレイスタイルは、ソウルシリーズの色合いが強い。立ちはだかる困難に対して、幅広い戦術、奥が深いビルド、ハードルを下げてくれるオンラインなど、色んな戦法や抜け道や育成を駆使して突破するという「ソウルシリーズ」の伝統であるプレイヤーに対する配慮に溢れた寛容性がエルデンリングの根底にはある。
加えて今作はオープンワールドになったことで大幅にルートや育成の自由度が増したり、モンスターを召喚できるシステムの追加で更に戦術性が広がったり、馬に乗って殆ど雑魚を無視できてしまうほど快適に移動できたりと、今まで以上にユーザービリティと遊びの幅が広がっていて、ソウルシリーズの方向性を究極に発展させた進化具合と言っても過言ではないレベル。

一方で、エルデンリングはハードコアゲームとして今まで以上にめちゃくちゃな事をやっている。単純に、難しかった。
このゲームは過去作の固定概念に囚われながら遊ぶと大変な事になる。俺はまさにその泥沼に陥った。ゲーム側から「工夫しないなら全力で倒しにいきます」という本気のメッセージを感じる。
例えばソウルシリーズは、この武器だけ使い続けるとか、接近メインのキャラで騎士道プレイするとか、そういう自分のプレイスタイルを押し通す事ができた。確かに難しいゲームではあるが、ガードを意識した立ち回りさえすれば何とかなるので、基本さえ守っていればプレイヤーが色んな選択肢を選ぶ事ができた。
だけど今作は、ガードだけしていれば良いとか、近接でゴリ押しできるとか、もうそんな次元じゃない。あらゆる手段を駆使しないと突破できないようになっている。
特にボス戦は真正面からぶつかると延々とヒットアンドアウェイを強いられて不毛な戦いと化す。重要なのは、遠距離攻撃や召喚やオンラインや多種多様な武器にスキルなど、色んな戦術を駆使して戦う事だ。
しかし俺は、長年フロムのハードコアゲームを遊び続けた事によって形成された拘りに囚われてしまっており、具体的に言うと「マルチプレイに頼らない」「接近戦メイン」「ボス戦でなるべく搦手を使わない」と言ったところだけど、それらが邪魔して今まで通りのプレイスタイルでゴリ押そうとしていた。その結果、地獄を見た。

繰り返しになるが、エルデンリングはソウルシリーズの方向性を受け継いで究極に発展させた、ユーザーの遊び方を尊重した「ユーザーのための」ゲームであるのは間違いない。
同時に本作は、「ユーザーの皆さんには色んな選択肢を与えます。その代わり、本気で殺しに行きます」というハードコアゲームとしての主張を高らかに宣言した「ゲームのための」ゲームでもある。
つまりこのゲームは、ユーザーのため、ゲームのため、という方向性をどちらもやりきっている。どちらかを強調するために100%のゲージを調整してバランスを取るのではなく、明らかに限界突破している。そこがエルデンリングの凄いところである。

俺はワガママなプレイヤーなので、ユーザーに寄ったゲームを遊ぶと「物足りないなぁ」と思うし、ゲームに寄ったゲームを遊ぶと「取っ付きが悪いなぁ」と思ってしまい、まぁでもそれはバランスの問題だし良いところに目を向けないとダメだよねと自分を納得させているけど、それだけにエルデンリングは衝撃的だった。
ゲームの一方的な主張と、ユーザーに対する配慮。その両方ともがここまで高いレベルで取り入れられているゲームは殆ど見た事がない。ハードコアというジャンルであれば尚更だ。
エルデンリングは、ボスのスペックが明らかにおかしいし、不条理な仕掛けや敵の配置も多く、ハードコアゲームとして見ても理不尽すぎるんじゃないかと思うレベルでめちゃくちゃな事をやっているが、一方で馬に乗って殆ど雑魚をスルーできるくらい快適に移動できたり、ゲーム攻略を一変させるほどの強力なスキルが隠されていたりと、ハードコアゲームとしては生緩いんじゃないかと思うレベルで快適に遊べてしまう。
仮にこのゲームがユーザービリティに全く配慮してなかったら、間違いなく俺はコントローラーをぶん投げてやめていたと思う。逆にこのゲームに理不尽さがなかったら、物足りないという感情に支配されてあまり記憶に残らないまま終わったと思う。
エルデンリングというゲームは、両方とも過剰にやり切っていて、奇跡的なバランスで釣り合っている。

このゲームをプレイして、如何に今まで俺はゲーム中に思考停止していたのかよく分かった。物足りないゲームは考える必要がないし、深く考える事が求められるゲームは取っ付きが悪いと切り捨てていて、最近の俺はゲームで試行錯誤するという事を殆どしていなかった。
エルデンリングも最初は、考えるのが面倒だから今までのプレイスタイルで押し通そうとした。通用していないのは明らかなのに、頭が固い俺は悔い改めようとせず、何度も何度も同じ失敗を繰り返した。
しかしこのゲームにおいて、自分の慣れ親しんだプレイスタイルだけでクリアーしたいだとか、新しい事を試すのが面倒くさいとか、そんな事を言っている余裕はもはやない。嫌でも自分の常識を疑わなければいけない時がくる。そうしてついに、俺は閉じこもっていた殻から抜け出ることが出来た。
もう本当に、かつてないほど色んな事を試したね。あらゆる武器や戦技を使ったし、今まで殆ど無視していたアイテムや魔法といった搦手も積極的に活用した。ステータスのリセットを利用してこのボスだけのビルドを作るみたいな泥臭い事もやった。何回も何回も擦り切れるくらいインベントリを見直した。
確かに考えるのは面倒くさいし、慣れ親しんだプレイスタイルを壊すのは怖い。でも思った。本気で思考し、本気で工夫しながらゲームを遊ぶのは、こんなにも楽しいのかと。
自分の常識すら疑ってあらゆる検証しながらゲームを試行錯誤したのは本当に久しぶり。それが楽しくて楽しくて仕方なかった。
しかもこのゲームはプレイヤーがチャレンジしたらそれに応えてくれる。ユーザーの苦労に報いてくれる。
一見すると理不尽にしか見えない難所にもちゃんとあるんだよな、攻略法が。ゲーム側からはっきりと答えを教えてくれないから分かりにくいけど、試行錯誤すれば楽になる道が必ず存在する。
そしてこの面倒くさいプレイスタイルを受け入れる事ができたのは、ひとえにこのゲームがとても快適で遊びやすいからだ。分かりやすいユーザービリティとエンタメ性があるからこそ、俺は諦めずに最後までチャレンジし続ける事ができた。
ソウルシリーズのユーザーに対する寛容性、ブラッドボーンやSEKIROで見受けられるハードコアゲームとしての強固な拘り。
そのどちらも取り入れ、しかも究極に発展させた。まさしくフロムの集大成と呼ぶに相応しい大傑作だった。


・Yata of the year

【エルデンリング】フロムソフトウェア

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ユーザーにとって遊びやすく快適なゲームを作る。ゲームの思想を叶える拘りの強いゲームを作る。どちらもゲームにとって重要な事である。
今までそれはバランスを取って折り合いを付けるものなんだろうと思っていた。でもエルデンリングは常識を超えた。バランスを取るとかそんな次元ではなく、両方とも本気でやり切っている。結果、とてつもないパワーに満ち溢れたゲームが生まれた。
ゲームに限界はないんだと、思い知った。


ではまた来年。