ゲームでも、リアル



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PS4、XboxOne、スイッチのテキストアドベンチャーゲーム。開発はスパイクチュンソフト。結構ネタバレします。

AIソムニウムファイルの続編。シナリオも引き続き打越氏が担当している。
前回は「家族」をテーマにした真っ直ぐな愛情に溢れていて、ニッチな方面に走りがちなADVのジャンルらしからぬ、誰もが受け止めやすい普遍的な愛の物語だったけど、今作はサブカルチャーが爆発。
ゲームという媒体、システムをメタ的に捉えた、如何にも打越氏らしい切り口でストーリーを見せてくれる。
あえて創作の虚構を意識させるストーリー演出は今となってはそこまで珍しいやり方でもないけど、打越氏は流石に年季が入っている。想像を超えた事をやってくれた。結局俺は違和感を感じただけで、全くトリックに気が付かなかった。
そのトリックは超が付くほどのご都合主義で成立しているものだけど、この地球や宇宙はコンピューターシミュレーターとして作られた仮想空間であるという「シミュレーション仮説」が今作では頻繁に言及されていて、その理論によって嘘っぽく見えるところを誤魔化しているのが上手い。
大体のツッコミ所は、「シミュレーション仮説」という印籠を突き付けることで一応説明できている。

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実際にある有名な仮説とは言え、この理論を使えば何でもありじゃんという気はするけど、このシミュレーション仮説が物語やシステムの軸として機能していたので、俺は納得できた。単なる付け焼き刃なものだったら、嘘っぽく見えたままだったと思う。
同じく打越氏がシナリオを描いた「9時間9人9の扉」でも、「形態形成場」と呼ばれる「直接やり取りせずとも、ある人に起きた出来事が他の人にも伝播して影響を与える」というオカルトに近い理論を利用していたけど、単にストーリーの辻褄を合わせるためにその場凌ぎで理屈を使うのではなく、ゲームの根幹として埋め込まれていたから感動できる仕掛けとして機能していた。
テーマに向かってブレずにストーリーが語られているから、筋が通っているんだよな。どんなに嘘っぽい事でも、ファンタジーでも、奇跡やオカルトでも、筋が通ってさえいれば、本物として感じ取る事ができる。

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そういう意味で言うと、今作のストーリーは筋が通っていた。テーマとしては、「選択の重み」を強く印象付ける内容となっている。
あの時ああしておけば、もしあの時あんなことをしなかったら。人生は答えが分からない。誰だって一度や二度はやり直したい過去があるだろう。
でも、ゲームはやり直せる。答えも分かる。簡単にリセットできる。気楽に過去に巻き戻って選択を選び直せるゲームという媒体で、選択の重さをメッセージにしても伝わるのか、と思ってしまうけど、むしろゲームだからこそ切実に訴えかけてくるものがあった。
このテーマにおいて重要なのが、今作の根底に流れている「シミュレーション仮説」。これと合わせてストーリーを捉えることで、プレイヤーはキャラクターの立ち場になって物語に入り込む事ができる。
考えてみて欲しいけど、万が一この現実世界においてシミュレーション仮説が本当だったとしても、いまいるこの地球が作りものだったとしても、普段遊んでいるゲームのように我々を動かしているプレイヤーなる存在がいたとしても、それはそれとして自分たちは自分たちの人生を生きるしかない、という結論に至ると思う。
つまり、ゲームのキャラクターも自分たちの世界で一生懸命に生きている。彼らがオカルトだと思っていたシミュレーション仮説は本当の話だし、間違いなくその世界は作りものだし、我々プレイヤーがそれを動かしているけど、キャラクターにとってはその世界こそが現実であり、やり直しの効かないリアルであり、選択の結果として辿ることになる人生を生きるしかない。
だからこそ「自分の選択に後悔なんてしていない」という、クライマックスにおける、とあるキャラクターの言葉が凄く響いた。
シミュレーションがどうとか過去がどうとか関係ない。与えられた環境、結果を受け入れて、その人生を全力で生きるしかないんだ、という切実さが伝わってきた。

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他にもサスペンスとしての魅力や、日本のADVにしてはよく動く映像や、微妙にもたつく謎解きパートや、嘘っぽくて感情移入できない本筋以外のキャラのストーリーなど、書きたい事は沢山あるけど、ちょっと割愛。
ゲームの世界で起きていることをプレイヤー自身に置き換えて感じ取らせる、という打越氏のストーリー手法が過去作以上のスケールで発揮された快作。
まさしくゲームでしか味わえないストーリー体験だった。