個人



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PS5、PS4、XboxX、XboxOneのアクションアドベンチャーゲーム。開発は龍が如くスタジオ。

俳優の木村拓哉が主人公というのが最大の特徴だけど、そこら辺は前回のジャッジアイズと同じ感想なので置いておく。
龍が如くスタジオ制作ということで、やはり今作も見どころはストーリー。学校を舞台に、イジメという現実的な題材を取り入れながら個人の正義に及んだ物語を描いていく。

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なんか、モヤモヤした。ゲームはプレイヤーが操作できるので主人公の存在感が大きく、プレイヤー=主人公と同化してくる。
それ故に信念に基づいた主張がぶつかり合って相手方にも同情できてしまうストーリー展開だと、いまいち入っていきにくい。今作で言えば、相手のやってることは理解できないが、ブレずに筋を通しているという意味では共感できる。
一方で、綺麗事や一般論で収めようとする主人公に対してはあんまり感情移入できない。でも俺のアバターとなるのはこいつ。そういう状況なのでかなり入りこみにくかった。

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まぁでも、一年半くらい前にこのゲームが出ていたら多分俺はすんなりと受け入れていたと思う。「ラストオブアスパート2」が発売される前だったら、ね。
あんまり他のゲームと比べてこうだから、という理屈は使いたくないけど、ラストオブアス2の見せ方があまりにも素晴らしくて大きく感化されてしまった。
簡単に言うと、「ラストオブアスパート2」も個人の正義というテーマを掲げている。そしてそれを表現するために相対する2人の女を主人公に据え置いてそれぞれの人間性を徹底的に掘り下げプレイヤーに見せていた。
つまるところ、フェアだった。どちらかの正義に肩入れしていなかった。あくまでも2人がやっていることは、正義なんかではなく個人的な感情に過ぎないんだよとしていた。
基本的に物語というのは一人の主人公を特別扱いし、その人の思想や感情を正義として持ち上げ、肯定し、救いを見出そうとする。映画にしろドラマにしろアニメにしろ、物語には「正しい」とされるものがないと共感の拠り所を置きにくい。ましてラストオブアスはシリーズ作品であり、愛着のあるキャラクターが登場する。
にも関わらず、ラストオブアスは前作の主人公のことも平気で突き放してみせた。絶対に正しいとする存在を置かず、あくまでも公正に個人の行動を映し出すことで、一方的な正義を表現した。
前作の主人公ですら正しいとされない構成なので、確かに物語的なカタルシスには欠けたが、個人の感情を全肯定もしないけど全否定もせず、一方的な正義を断罪し、同時に受け入れるという、そのバランスの取れたストーリーの見せ方はまさに「個人の正義」というものを的確に表現していた。

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一方で、ロストジャッジメントも個人の正義を強調していながら、一人の主人公の視点でしかそれを捉えることができない。そしてその相手の個人的な言い分を理想論や綺麗事で抑え込もうとする。
ゲームが「正しい」とする存在の前に、個人はかき消される。結局、個人という存在は主人公の下敷きでしかない。そういう風に見えて仕方なかったので、違和感があった。

ただ、これは俺の感情に基づいた一方的な感想。物語的なカタルシスを重視するのなら一人の主人公を正しい存在とするのは当然。
ましてロストジャッジメントにはキムタクという大黒柱がいる。キムタクが正しいからこそ、アクションするのが楽しいし、ストーリーが盛り上がるという側面は間違いなくある。
なおかつ「真実が誰かを傷つけるものだったとしても、何が正しいかなんて個人の主観では計れないのだから、真実こそが常に等しくそこにある絶対に正しいもの」とするメッセージは、綺麗事ではあるが、このゲームのスタンスを強固にするとても良い結論だと思った。
ライバルキャラの見せ方も良い。結局片方の視点でしか見れないので単純なダークヒーローの構造になってるけど、それでもブレずに信念を押し通そうとするキャラ造形は説得力があった。

同じテーマでも、何を大事にするかでやり方は変わる。
リアルさを重視するならラストオブアスパート2の見せ方が効果的だと思うが、カタルシスを重視するならロストジャッジメントの方が良いのは間違いない。
ラストオブアスはとてつもなく賛否両論分かれたが、ロストジャッジメントは龍が如くスタジオのゲームが好きな人なら誰でも楽しめる。