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【2016年】

2016年は、FF15が発売された年。


・ドゥーム 80点☆

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細かい照準合わせは求められない。リロードも存在しない。敵は悪魔なので良心の呵責を抱く必要もない。
とにかく四方から現れる悪魔に向かって撃って撃って撃って撃ちまくり、たまに近寄って無理矢理首や腕を引きちぎる。どう考えても本当の悪魔は主人公としか思えないハイグロテスク・シューティングゲーム。
何だか凄くシンプルな内容だが、このゲームは「単純さ」が徹底していて清々しかった。
細かな照準合わせやリロードと言ったシューティングで面倒な要素を排除したことで、驚異的なテンポを実現。
囲むように現れる敵の配置や、怯んだ悪魔に接近しその身体を引きちぎることで回復アイテムが出現する仕様が合わさって、走りながら戦うスタイルを確立し、スピード感も演出。
怒涛の勢いで悪魔が血祭りに上げられていく様があまりにも愉快。単純ながら難易度は結構高く、ゲームとしても歯応えがあって面白い。
もうすぐ新作が発売されるので楽しみ。



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一人称視点で迫力あるパルクールアクションを体験できるという趣旨が好評だったミラーズエッジがオープンワールド化。
一人称視点の最大の魅力はリアル感であり、同じくリアリティを向上させてくれるオープンワールドが組み合わさればより面白いゲームになるのではないかと思ったが、そんな事はなかった。



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ボーカロイドが構築する夢のような仮想世界に囚われた主人公たちが、地獄のような現実世界に帰ろうとするRPG。
オタクの心理を強烈に風刺した世界観とストーリーが面白かった。何かに熱中して心の空白を埋めようとするのは誰にでもあることだが、それが行きすぎるとどうなるか。
自分の中にないものに依存しきって、それが「心の柱」になってしまった人間の様をかなり踏み込んで描写している。
しかしこのゲームは、決して虚無的なものに依存してしまうことを否定しているわけではない。
人々の「心の柱」になっていたボーカロイドが、そこから少し距離を置いて、「心の柱」まで食い込むのではなく「心の支え」として見守ろうと決意するちょうど良い距離感に収まった結末は、このテーマに対する中々良い回答だったと思う。
まぁ要するに、何でも程々が大事ってことですね。
「理想(きみ)を壊して、現実(じごく)に帰る」というこのゲームのキャッチコピーが凄く好き。



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俺は都市伝説みたいな曰く付きの話が大好きなので、それを下敷きにしたこのゲームは面白かった。



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サイコパス指数が振り切った主人公の視点でストーリーを体験しなければいけないという驚愕のテキストアドベンチャーゲーム。
それとは裏腹に島根県が全面協力していたり、絵がやたらと清純だったりと、ガワの部分は清楚で、最初はサブカル色の薄い純粋な青春アドベンチャーなのかなぁという印象だったが、主人公のドス黒さが全てを暗黒に塗り潰していた。
ある意味で、この主人公は一見の価値がある。



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最後のラスボスとの戦いに至るまでの道を振り返るという趣旨のゲームだが、その道のりがあまりにも平坦で困難がなくて余裕しゃくしゃくで全く思い出に残らず、ストーリーと演出は悪くないけど、体験の部分が薄っぺらいのでRPGとして魅力が無かった。



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アクションも謎解きも単純明快で奥深さはないけど、グラフィックがとても綺麗でその絵を体験するだけでも面白かった。



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雰囲気ゲーム。それ以上でも以下でもない。
雰囲気ゲームとしては見せ方が平凡で退屈だった。



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復讐という感情に突き動かされるストーリー。
清純さをアピールするうえで「復讐心」はこのうえないカモであり、チラッとでもその感情を見せるとすかさず「そんなことをして死んだ◯◯が喜ぶのか」「憎しみは憎しみの連鎖しか生まないんだ」みたいな正論が飛んでくるのが物語の常だけど、このゲームはそんな正論に対して「で?だから何?」というスタンスで突き進む。
一方的に間違ったものと決め付けられがちな復讐という感情だが、このゲームでは、主人公にとって復讐こそが生き様であり、前に進むということであり、信念を持って生きることだ、としている。
勧善懲悪という誰が見ても分かる絶対的な正義ではなく、個人の感情という自分だけの正義を描いているので、単純な善悪でストーリーを推し量ることはできないが、そういう構成だからこそキャラの強い想いが伝わってきて、とても熱くなることができた。



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恋愛アドベンチャーゲーム。キャラは全員、鳥。立ち絵も実写の鳥なのは笑った。
世界観とストーリーは面白かったが、大量の誤字やウィンドウからテキストがはみ出るなど、あまりにもあんまりなローカライズのせいで全てがどうでも良くなった。



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極限脱出シリーズの最終章。
9時間9人9の扉、善人シボウデスはともに傑作で完璧なバトンを繋いだが、最後に転けた。



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「ペルソナファンのために作る」という想いが結実した、これぞシリーズゲームの理想形とも呼べる最高のペルソナ。
前作のペルソナ4からあらゆる部分が進化し、ペルソナが持つポテンシャルを100%引き出している。
俺は今までこのシリーズのことが好きじゃなかったが、ペルソナ5は本当に面白かった。



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ポケモン的なFF。モンスターが進化しても能力値のバランスが変わるだけで明確に強くなるわけじゃないのが納得できなかった。



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このゲームを起動すると、クレジットのあとに「はじめてFINAL FANTASYをプレイする方と、すべてのファンの為に」というメッセージが表示される。
確かに今作は、そこの狭間でもがいている。具体的に言うと、今や大作RPGのスタンダードとも言えるオープンワールドと、FFの伝統であるキャラ主観で展開されるストーリー、この2つをFF15は無理矢理組み合わせている。
オープンワールドはプレイヤー主観で自由にゲームを進めることができるため、FFのようなキャラの感情に沿ってストーリーが動くゲームとは相性が悪い。
今作でもその噛み合わせの悪さはモロに出ていて、例えば主人公の故郷が帝国に滅ぼされたという連絡を受けてムービーでは切迫感や憎しみの感情が表現されるのに、ゲーム部分になると呑気に釣りをしたり満面の笑みで写真を撮っていたり気ままにドライブしたりとオープンワールド特有の緩やかな空気で満たされるため、中々ストーリーに入り込むことが出来ない。
明らかにFFというゲームにオープンワールドは合ってない。しかし、ストーリー体験を重視するあまりガチガチにプレイヤーの行動を制御していたFF13がシリーズを潰されかねない勢いで批判を浴びたため、FFはどうしてもオープンワールドを採用せざるを得なかった。

FFは10までは間違いなくRPGの最先端を走っていた。映画的なストーリーをゲームで表現するという手法はPS2の時代まではインパクトがあった。
しかし今は自由度やシームレスな体験という「プレイヤー主観」が求められる時代であり、FFのようなムービーとプレイヤーの制御でストーリーをゴリ押すスタイルはハッキリ言って時代遅れだ。
だけどファイナルファンタジーとはキャラクターがストーリーを動かすゲームであり、FF15でもその根本は変わらない。しかし時代は変わっている。果たしてどうするか。
その結果出来上がったのが、ストーリーとプレイヤーのゲーム体験が全く噛み合わない歪でチグバグなFF15というわけだ。

「最高のストーリー体験を作る」。 FFは常に新しいことに挑戦しているゲームだが、根本にあるのはそれだ。
そのためには過去作や典型から逸脱することも躊躇わない。常に全力で真っ直ぐに最高のストーリー体験を作ろうとする、それがFFというゲームだった。
しかしFF15は迷いがある。FFの理想と、現実の狭間で葛藤している。その複雑な気持ちが最初の「はじめてFINAL FANTASYをプレイする方と、すべてのファンの為に」というメッセージに現れているように見えた。

そんなチグハグで不安定で迷走しているFF15だけど、たった一つだけ、真っ直ぐに筋が通っているものがあるんだよな。
もう何回も言ってるけど、「仲間との絆」ね。ここだけは、迷いがない。
そうだよ。このゲームにおいて、メインストーリーなんてどうでも良いものなんだよ。帝国も、祖国も、星の病も、姫も、どうでも良い。ただ、ヴェルサスとしての体裁を守るために取り繕っているだけだ。
ではFF15にとって、どうでも良くないものとは何か。分かり切ってる。主人公ノクティスと、仲間との絆だ。
殉教者として運命が決められた主人公が最後の時間を仲間と過ごし、死を迎える。FF15の物語として大切なのはそこだけだ。
何故そう感じることができるのか。FF15は、仲間と関係する部分に関しては尋常じゃないほどの拘りを持って作られているから。
個性と躍動感を感じ、まるで生きているように動く仲間のAI。大量に用意された会話のバリエーション。チームワークを感じる戦闘。仲間との旅を色濃く表現するキャンプの要素。異様に作り込まれた釣りや料理。旅路を振り返る写真システム。4人を共に運んでくれる車の存在。そして男4人で固めたパーティー。
ちゃんと筋が通っている。このゲームはコンセプトの為に一切の妥協をしていない。だから、ゲームの主張を理解することが出来る。
なのに、ここまでして見て欲しい部分を、このゲームは押し付けてこない。仲間との過ごし方はあくまでユーザー次第であり、ほとんど旅をせずに物語だけ見て終わることも可能。
しかし、自身で能動的に仲間と旅をするからこそ、誘導されて作られた感情ではなく、仲間に対して自分の中で培った想いを抱くことができる。
FF15が賛否両論分かれているのは、単純にクリアーを目指すだけではこのゲームが丹精込めて磨いてきた部分が見えてこないからだろう。

まぁ面倒くさいゲームだったからね、FF15は。どんなゲームにも大切にしている核がある。でも、それを好きになってくれるかどうかはユーザー次第だ。
確かに主張を押し通すことはコンセプトの説得力を強めて魅力を高めるが、偏りすぎると自己満足になりかねない。ユーザーに買ってもらう以上、分かりやすさと普遍的な面白さを取り入れる事は絶対条件だ。
FF15はどうだったか。間違いなく、何百万人のユーザーが手に取る大作RPGとしては、あり得ない取捨選択を積み重ねたゲームではある。
女を省いたパーティー。主人公視点を貫いたことによる物語の説明不足。本筋とオープンワールドのチグハグさ。メイン部分だけでは伝わりにくい旅の風情。
これらは全て、仲間との旅の臨場感というこのゲームの核を強固にするための選択だが、間違いなく大衆性は下がっている。俺も、メインストーリーの薄さにはガッカリせざるを得なかった。
だけど、否定なんてできない。最後のキャンプで感動できたのは、紛れもなくこのゲームがそういう取捨選択をしたからだ。

主人公の葛藤や想いに共感することは他のゲームでもある。
でも、楽しいこと、辛いこと。そうした主人公の純粋な感情が、まるで自分の事のように感じ取ることができたのは、このゲームが初めてだ。仲間との旅は本当に楽しくて、そして別れは本当に辛かった。
度重なるアップデートによって、今ではノクティス以外も操作出来るし、個別エピソードは本筋から離されているが本編でもノクティス以外の視点から捉えたムービーが多く追加されたり、ノクティスの苦難として立ちはだかった13章がノーストレスの調整になったりと、尖った部分はどんどん削られている。
確かに当初はあまりにもナイーブで、分かりにくくて、ギリギリのバランスで作られていた。遊びやすさに欠け、機能も充実していなかった。でも、だからこそ得られる感動も間違いなくあった。
たとえ爽快感がなくても、遊びにくくても、主流と違っていても、大衆性が下がっても、伝統から外れていても、作り手が見せたいもののために全力を尽くす。それがFFというゲームだ。
大作ゲームは売るためにそこを抑えているものが多いが、FFはそれを包み隠さない。恥ずかしげもなく、エゴをぶつけてくる。
FFは、無難じゃない。決して主張を妥協することはない。これはこういうゲームだ!という自己主張をしたものを作ってくる。人が作っていると感じさせてくれる。ゲームに、血が通っている。
だからFFに、心を動かされる。だから俺は、FFが大好きだ。
FF15は今まで大切にしていたメインストーリーすらかなぐり捨てたが、表面的ではない、もっと素晴らしいものを見せてくれる。FF15は、間違いなく15番目のFFだった。


ここから全てのゲームに触れるので、まだまだ続きます。