自分




このブログを始めたのが2009年の10月6日。今日が2019年の10月7日。
と、言うことは、このブログは今日の更新を持って10年間ちゃんと生きたブログとして存在し続けたことになる。
10年か。始めた時はこんなに続くなんて全く想像してなかったよね。俺はとてつもなく飽きやすい人間だから。いやでも、ブログ以外にもゲームやスワローズも10年以上飽きないし、自分で思っている以上に俺は一途な人間なのかも知れない。
一番最初に更新した場所は、駅のホーム。別に前からブログをやりたかったわけじゃない。電車を待っているたった数分の間にふと思った。自分が好きなゲームとスワローズを中心とした意見を発信できる場所が欲しいなって。それがこのブログの始まり。

最初は全くやる気が無くて一ヶ月くらい更新を放置していたこともあったけど、始めて半年後くらいにあるブログと出会い、その人の考え方と文章にもの凄く心を鷲掴みにされてしまった。
俺もこの人みたいな思考を身に付けたい、この人みたいな文章を書きたいと思い、それがエンジンとなって一気にブログに打ち込むようになった。
それから数年間はずっとその人の真似ばかりしてたね。学生で暇だったこともあり、あの時が一番ブログに対して熱量があった気がする。

しかし真似をしすぎて自分の文章というものが全く書けなくなっていた。
ブログを書いている間に脳内で働く思考は、如何にしてその人っぽい文章を書くかどうか、ただそれだけ。そこに自分の意見や価値観を介入させる余地は殆ど無かった。
ようやくそれに気が付いた時は既に根が深く。自分の文章を書こうとしても、どうしても出来ない。あの人はそんな文章書かないぞ、あの人はきっとこういう考え方をするぞ、という思考が呪縛のように脳内にこびり付き、どうしてもそれに抗えなかった。

そんな中でもブログの更新を続けて、2013年頃から少しずつ本当に自分が書きたい事が文章として表現できるようになってくる。
2016年くらいかな。ようやく頭の中の呪縛が完全に消え失せて、自分の形が確立できたのは。
もちろん、その人の事は今でも尊敬してるし、彼の考え方や文章は間違いなく俺に大きな影響を与えている。真似していた時代も含めて、そういう時間があったからこそ、今の俺が存在するのは間違いない。

しかし、文章って難しいね。言葉と違って自分のペースで発信できるものだから、いくらでも誤魔化せるだろうと思いがちだけど、本当に自分が身に付けているものしか出せない。
ちょっと雰囲気を変えたいと思って文章の書き方を変えようとしても、どうしてもいつもの自分の文体に戻る。無理。自分を変えるのと同じくらい、文章を変えるのは難しい。文章は、その人の内なる心に直結してるんだろうな。

ブログで心掛けてきたのは、文章を書く前に答えを決めないこと。あらかじめ答えを決めた文章は、結論に当てはまるよう盲目的に意見をこじ付けられた内容が多い。
確かに自分の意見は大切だが、ユーザーに個性があるように、ゲームや映画のような創作にだって個性はある。相手の個性を許容できなければ、もちろんそれを何でも受け入れる必要はないけど、どういうゲームなのか理解しようとする気持ちがなければ、ただ自分の好き・嫌いでしかモノを語れなくなる。俺はそれは良い感想だとは思わない。
だから俺はその作品が何を大切にしているのか、という点をもの凄く重視してるけど、ただ遊んだり観賞しただけでは気が付かないことも多い。というか10%も理解できてないことが殆どだと思う。文章を書くという行為を通して、答えを探している。
だから未だに感想を書くのに凄い時間がかかるし、トピック別けして分かりやすく感想をまとめるということも出来ないけど、でも俺の考え方にあった文章の作り方だと思うので、これからも続けていこうと思う。

色々書いたけど、究極的に、なんでここまでブログを続けてこられたかと言うと、見てくれる人がいたからに他ならない。
ブログなんて、見てくれる人がいなければただの自己満足な日記でしかない。見てくれる人がいなければ文章なんて何の価値もない。
だから、読み手のことを考えて文章を作るのは大事だなと切に思う。
ブログを始めた頃は本当に独りよがりで自分勝手な分かりにくい文章だったけど、読みやすさという点では大分改善できたかなと思う。俺は自己中心的な人間なので、それが出来たのは自分の中でとても大きな進歩だと感じる。

しかし10年も続けたけど、アクセス数は中堅の水準に届くかどうかレベルまでしか持ってこれなかったな。
最近は特に低調で真剣にブログを閉じようかなとも考えたけど、ブログは身勝手な自分を曝け出せる数少ない場所だし、まだまだ言いたい事はたくさんあるし、見てくれる人もいるし、やっぱり止められません。
これからも俺に付き合ってね。よろしく。