人間は、生きたい




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二部作で構成されてる映画寄生獣の後編。原作は未読。ネタバレ注意。

“人間に寄生して脳を支配し、人をムシャムシャパクパクしていた寄生生物ですが、調子に乗り過ぎて人間様にボコられましたとさ”

立場逆転。前編では、人の姿でカモフラージュ+圧倒的な殺傷能力、という二大能力を持って人間達を蹂躙していた寄生生物であるが、完結編では完全に人類のターンに。個の力では強大な寄生生物が、人間の組織力の前に呆気なく散っていく。準備を整えた人間の集団の前では、寄生生物も無力。結局のところ、寄生生物も他の生物と同様、人間にとって取るに足らない存在だったわけだ。
一方、容赦なく寄生生物を殺していく人間の様子は、寄生生物が何の感情も持たずに人を捕食していた無情さそのものであり、理性はあっても人間も種を繁栄させるという本能のまま動いているところは他の生物と変わらない愚直さがあることを表している。しかも人間の場合は桁外れの知能を持っているが故にその本能の悪意は底知れぬものがあり、万物の霊長の座が揺らがされた時に発揮される彼らの恐ろしい生存本能が垣間見えた。
だから、制圧の最中に行われた、人間こそが一方的なエゴで生態バランスをめちゃくちゃにする寄生獣である、という市長の広川の演説は真実味があった。成る程。寄生獣のタイトルは人間の事を指していたのか。人間と寄生生物は互いに他の生物に寄生しなければ生きていけないという意味で合わせ鏡的な存在だと前編の段階では思ったが、何てことはない。良く考えたら、人間は少しでも自分達を脅かす存在は徹底的に排除しようとする種だった。あくまでも生態ピラミッドのバランサーに留まっている寄生生物とは、寄生の格が違った。
その人間の獣の部分を強調するためにも、機動隊が寄生された人間と普通の人間関係なく容赦無しに粛清するシーンとかあると良かったな。機動隊が広川を撃ち殺したあと、実は彼はただの人間であることが分かる場面は割と衝撃的だったけど、これだけじゃ弱いね。

生存本能の愚直さを過激に見せている一方で、それを優しく包んでいる場面もある。寄生生物でありながら赤ん坊を授かった田宮という女のパートがそれだ。
全体的にこの映画は描写が足りないと感じる部分が多いが、母性という部分に関してはかなり力を入れてフィーチャーしており、こと田宮の話はかなり熱を持って伝わってくる。無情であるはずの寄生生物が、自分の身を顧みずに赤ん坊を守るシーンは感動的だった。
寄生生物はか弱い。人間の身体を借りなければ生きていけない存在であり、人間と寄生生物は一つの家族だ。という田宮の台詞も良い。種を保つ為には、どの生物も何かに寄生しなければ生きていけないという真理を、制圧シーンでは過激に、田宮のシーンでは優しく見せている。赤ん坊を生んで人間の無力さを知り、そして寄生生物の無力さも知っている、田宮だからこそ響く言葉だ。母性を話の中心に置いたのは、決して間違いではない。

しかし、後半から失速。寄生生物の中でも圧倒的な力を誇る後藤と主人公の戦いが始まるのだが、こいつがあまり強敵として実感できる描写がないので対決に真に迫るものがなく、その流れから入る相棒ミギーとの別れやセックスシーンなどの大事な場面も唐突に感じられてしまう。
ただ、セックスシーンがそれなりに描写されていたのは良かった。極限まで死の恐怖に追い詰められた主人公が、生を噛みしめる大事なシーンだ。大切な人と一夜を共にし、彼女の為にもまだ死ぬわけにはいかないと強く決意する。ここをちゃんと描写したから後の名場面が生きてくる。

後藤との決戦のシーン。うーん、ショボい。人間が生み出したゴミや放射能ガレキがガジェットとして使われてるのは比喩的で良いし、その前フリがあるからこそ、人間が我々を生み出し、寄生生物は増えすぎた人間を救う為に存在するという後藤の言葉も分かりやすくメッセージ性を感じ取れるが、どうにも盛り上がらない。
しかし、このあとが良かった。最終的に主人公は後藤を倒し、まだ心臓が動き修復しようともがく彼の肉体を見て寄生生物もただ生存本能のままに生きていることに気付き、一旦は生態ピラミッドのバランスを人間の好き勝手に捻じ曲げてきた内省から見逃すのだが、見上げるとそこには大切な彼女の姿がある。後藤が復活する可能性は五分五分。自分には守らなければならない人がいることを思い出した主人公は、涙を流しながら後藤を抱き抱え、焼却炉に投げ込む。

「お前は悪くない。ごめんな・・・それでも俺たちは、人間は生きたいんだよ」

素晴らしい。これはとても真を突いている言葉だ。そう、寄生生物は悪くない。生きるために人間を食べていただけだ。だけど、人間は寄生生物に食べられたくないんだ。人間は生きたいんだ。例え、他の生物がどうなろうとも、地球がどうなろうとも、生態バランスがめちゃめちゃになろうとも、人間は生きたい。地球のため、他の生物のため、と言って行動することもあるが、それは突き詰めると人間の繁栄の為だ。どこまでいっても、人間は人間の為にしか行動することができない。でも、それは仕方のないことだ。それが生存本能であり、生き物の性なのだから。
だけど、矛盾するようだが、人間には他の種を思いやる、優しさがある。どう考えても矛盾している。矛盾しているが、間違いなく優しさがあるのだ。そしてそれは決して他の生物にはない一面だ。そこが人間が万物の霊長である所以だ。
主人公が後藤の最期に投げかけた言葉に、矛盾に満ちた人間の複雑な感情が全て現れている。お前は悪くない、ごめんなと、思いやりを見せながらも、主人公は自分のエゴを押し付ける。生きたい。大事な人を守りたい。結局、大切なのは目の前の小さな幸せなのだ。今の自分にとって大切な事を優先する、人間の愚直な本能を誤魔化しなく描ききっている。人間のおかしさ、愛おしさ、残酷さが凝縮された、素晴らしいシーンだった。

凄いね。寄生獣のストーリーは。人間のエゴと厚かましさを描きながら、最終的に生きるため、という部分に帰結するから、この話は説教臭く聞こえない。これは原作の漫画も読まないとな。
ただ、一緒に見に行った連れによると、漫画には「人間は、生きたいんだよ」という台詞がないらしいんだよな。多分、その言葉を使うまでもなく描写しきってるんだと思うけど。
映画は描写不足が目立ったが、それでもテーマは良く伝わってきた。何より、人間は生きたいという、生存本能のエゴが率直に現れた言葉がとても心に刺さった。満足。