ファイナルとは



2015-03-18-02-41-58


3DSが壊れた。と思ったら直った。と思ったら壊れた。
というループをここ一ヶ月くらい繰り返し、今は安定期のターンに入っている。どれぐらい壊れているのかというと、ゲームの起動中に突然ソフトが抜かれましたという表示が出て強制終了になるぐらいに壊れている。主に衝撃が原因で飛ぶのだが、酷い時はそよ風レベルの振動でもなるので気が気ではない。
そんな中でもムジュラの仮面が面白くてやめられないやたさんは、対策として、動かざるごと山の如し、微動だにせず3DSを操作していたのだが、ボタンを押した僅かな反動でゲームが飛んだ時は流石に限界を感じ、もう買い換えてやるからな!絶対だからな!!と吠えた。
しかし次の日から何事もなかったかのように動くようになったのでとりあえず買い換えるのはやめてムジュラの仮面をやっていたのだが、またその一週間後くらいに発作が起きて2時間に及ぶ神殿攻略が白紙となり、今度こそ買い換えてやるからな!本気だからな!!新しい3DSがやって来たらお前は薄暗い引き出しの中で一生過ごすことになるんだからな!!!と咆哮したが、次の日からまた安定期に入って今に至る。どうやら窮地に追い込まれると奮起するらしい。
まぁNew3DS欲しいから丁度いいキッカケではあるんだけど。でもゲームソフトは全く躊躇うことなく買いまくっているくせに、ハードに関しては優柔不断になるのが俺のいつもの習性なので、まだ買わないだろなぁ。別にムジュラ以外に3DSでやりたいソフトも直近では見当たらないし。大逆転裁判の時にも調子が悪かったら流石に考えるけど。

録画していた名探偵コナンを見る。お、アムロが出てんじゃーん。久しぶり。でも雰囲気が違う。ちょっとセンチなアムロ君。ゼロという言葉や蘭のコナンく〜んという戯れにやたらと敏感に反応する。分かりやすくアムロの二つ名がゼロであることが明かされた。アムロ・ゼロ・・・アムロ・レイか。作者はガチのガンダムオタクだな。ゼロの声もいっきまーすの人だし。
随分前、病院を舞台にした黒の組織の話で首に爆弾を巻いて色々頑張っていた組織構成員がいて確か最後は自殺かなんかで死んでた気がするが、何故か今回の話で唐突にそいつの名前が出てくる。しかもやたらと存在が強調されている。これは間違いなく前振りだろう。ってことはもうすぐ組織の話来るか!?前回の組織編は一歩進んで三歩下がる内容で殆ど進展がなく、ただキッドとの絡みを見せたかっただけの極薄な話でガッカリ極まりなかったが、漫画では赤井秀一復帰の話をやってたらしいし、次こそは大きな変化がありそうだな。
しかし何故今になって爆弾野郎がフィーチャリングされてるの?と思う。それなりに頑張ってたけど、組織の人間の割にはオーラがなくてモブキャラっぽかったのに。でも何かしら鍵を握ってるんだろうな。

魔人探偵ネウロ読み終わった。ラスボスのシックスが見掛け倒しでガッカリ。残忍な演出でハッタリかましてただけだった。頭も弱く、ネウロの弱点は魔力が有限であることだと分かった上で作戦練ってたのに回復の猶予を与えてるのが意味不明。居場所分かってんだから間髪入れずに四天王ぶつけろよ。人間を滅ぼすとか威勢の良いこと言ってたくせに結局小さなテロを起こした程度で満足してるのも器が小さいなぁという感じ。仰々しく風呂敷を広げた割には大した事がない。初めてシックスと四天王が登場した時は、うわぁこいつらやべぇだろネウロと人類どうなっちゃうんだ・・・とワクワクしたが、終わってみれば只の小物だった。
話は全編通して強引で面白かった。バトルにしても設定にしても作者のメッセージを伝えるという点に特化して構築されているのがこの漫画の特徴で、そのメッセージはありがちな教訓めいた良い話の域を出ないが、ハッタリやこじつけを駆使して無理矢理に理屈を押し通した強引な説明には謎の説得力があり、その有無を言わさない勢いに圧倒されて、そ、そうなのかと思わず納得させられてしまうのがこの漫画の大きな魅力。暗殺教室もそうだが、この漫画を描いてる人は観念的になりがちな話に具体性を与えて説得力を持たせるのが上手い。

さて、いよいよ明日、ファイナルファンタジー15のベールが解かれる。
零式HDにFF15の体験版が付属するのは初回生産のみということで、普段はゲームを予約しない俺も流石に予約しとこうという気になり・・・と思い立ったのがつい先程で、近くのゲオに急いで走った。到着。ひとまずここは落ち着いてファミ通を立ち読みする。お、マッドマックス日本でも出すんだ。へー、サイバーコネクトツー何か頑張ってるんだ。それくらい。今週も目ぼしい情報はないなー。
それにしても今週の電撃プレイステーションの表紙は良い。この前思わず買ってしまったくらい。内容はガッカリだったけど。表紙の「FFがFFであること」というフレーズに惹かれたというか、FFに対する電プレの見解があると思ったから買ったのに、ただ情報が並んでるだけだった。ネタバレしないようにFF15のページは集中力を極限までカットした上に目を細めて視界をボヤけさせザッとしか見てないからもしかしたら紛れてるのかも知れないけど。表紙がカッコ良いからまぁ良いや。
ちなみにFF零式の予約は既に締め切られていました。ついでにブラッドボーンの予約も終わってました。ガビーん。
はぁマジで使えねぇわゲオ。新作ゲームも全然仕入れずすぐ売り切れるしさ。中古ばっか売ってないでもっと仕入れてゲーム業界に金回せよ。
でも、終わったゲームはすかさず売ってる俺に、そんなこと言える資格はなかった。零式も多分体験版のコードだけ抜いて売るし。かなり世代飛び越えてリマスターされたからどれくらいクオリティアップしてるのかは気になるけど。
ただ零式はFFとしてあんまり好きじゃないんだよね。何を作りたいかではなくユーザーの好みに合わせる向きが強いコンセプトだったし、ゲーム内容も携帯機の制約に縛られすぎてるから。ナンバリングじゃないから仕方ないけど。

俺が思うFFがFFであることは、目指しているものを作るために、妥協なく本気でそれに向かって突っ走る、ということだね。
FF15は、旧世代機を切り、死ぬほど時間をかけ、FFのお約束も突き放した。言い換えるとそれらは、売り上げを犠牲にし、貴重なリソースを圧迫し、安定した評価を捨てたということでもある。だけど、それだけの覚悟がなければ、FFは作れない。FFが目指しているものは生半可な境地ではないのだから。FFは規格外であり続けなければならないのだから。大きなリスクを背負って作られているからこそ、FFはFFであることができる。
ファイナルファンタジーというタイトルは、産みの親の坂口氏がこれが失敗したらゲーム業界から身を引くという決意を抱いて作られたことから由来しているのはあまりにも有名だが、ビッグタイトルになった今でも根底に流れるものは変わっていない。
失敗が許されないビッグタイトルにも関わらず、安定を捨て、新しい事への試みを決してやめようとはせず、更に莫大なお金と時間をかけ、自らを背水の陣に追い込んでいる。失敗したらこれが最後になるかもしれないという覚悟とリスクを持ってFFは作られている。ファイナルファイナルって言うけど、全然ファイナルじゃないじゃんと良く突っ込まれるタイトルだが、いつだってFFはファイナルの覚悟を忘れたことはないよ。
いよいよ明らかになるFF15の一端。FF15のファイナルを見せて欲しい。