あまりにも計算し尽くされた、至高のサバイバルホラー




2014-12-15-03-05-51


サバイバルアドベンチャーゲーム。開発はカプコン。
初代バイオのグラフィックを向上させて追加要素もほどほどに再現性重視で作られた所謂リメイクバイオを、更にHDリマスター化してPS3に移植したものをプレイ。

初代バイオかー。なんかやたらと絶賛されてるけど実際のところどうなの?
バイオハザードシリーズはマイフェイバリットフランチャイズのTOP10に入るほどお気に入りのゲームだけど、主な理由はサバイバルの駆け引きをアクションシューティングのゲーム性として緻密に組み込んだ最近のアクション型バイオに惚れ込んでいるからで、基本的に俺はミーハーなゲームオタクだから昔のゲームはあまり知らず、初代バイオもプレイしたことはない。
一方世間的に高く評価されているのは主にシューターにモデルチェンジする前の探索謎解き重視のバイオで、そのためか最近のバイオを下げて見ている人がやたらと多く、アクション型のバイオを支持している俺としては、ふんどうせ懐古補正だろ探索バイオでプレイ経験のあるバイオ2とコードベロニカはサバイバルなゲームデザインは確かに光っていたけど面白くはなかったし、と不貞腐れていたのだが、この度初代バイオハザードのリメイクをプレイして、名作と謳われている理由がついに身に染みて分かるのであった。

皆知ってると思うけどこのゲームをディレクションしているのは三上真司というクリエイターで、この人のゲームの特徴は徹底的に計算されたゲームデザインとゲームバランスで一貫としたゲーム体験を作り上げ、プレイヤーをその世界に引きずり込むことにある。この初代バイオハザードは、彼のゲーム作りの特色が最も色濃く現れていると言っても過言ではなかった。
まず特徴的なのが、このゲームの象徴でもあるゾンビが弱いこと。動きはノロいし、攻撃は基本的に掴みかかってくるだけだし、襲われても何回かは耐えられる。配置されている数もそれほど多くない。一方でプレイヤーが操作するキャラのスペックは非常に高く、銃を撃つ時オートでゾンビに狙いを定めてくれるので基本的に適当に撃ってるだけであっさり倒せる。
あれ?じゃあ見た目恐ろしいだけで別にそんなに怖くないじゃんと思われるかもしれない。しかしここで問題となるのが弾薬数。
手に入る弾薬は限られており、しかもその数はかなりシビアで終盤まではやりくり必須。手持ちの弾薬が尽き果て銃が使い物にならなくなり、仕方ないから制限なく使えるナイフを振ってそのあまりの攻撃力のショボさに愕然とし、そこで気付かされるわけだ。安易に弾を撃ちまくってたら駄目だと。これは手持ちのアイテムと睨めっこしてゾンビ一体一体に全力で立ち向かわなければならないゲームであると。
そうして手持ちのアイテムと睨めっこしていると、今度は持てるアイテム数が少なすぎる事に絶望する。主人公は二人いるが、ジルは8。クリスに至ってはたったの6。銃と弾薬はもちろん必須だが回復のハーブもないと心許ないし、仕掛けを解くためのアイテムや鍵もこの枠内に含められるし、当然道中でまた色々とアイテムが手に入る。
足りない。どう考えてもこのアイテム枠では足りない。つまり、アイテムでガチガチに固めて強行突破というやり方は必然的に封じられる。どうあってもギリギリの環境でプレイすることを求めてくるわけだ。俺はジルでプレイしたからまだマシだったが、クリスだったら泣いてたと思う。
更に嫌がらせのように立ちはだかってくるのが操作性。いわゆるラジコン操作と呼ばれるもので、これがかなり癖のある操作性なためキャラクターの移動が中々思い通りにいかない。つまるところゾンビをやり過ごすことが困難。
弾が足りないからゾンビの横を華麗にすり抜けようとしたら操作にもたついて掴み掛かられた時、またも思い知らされた。避けるのは確実な手段ではないと。時には戦い、時には逃げる。このバランスある戦い方がこのゲームでは鍵を握るのだと。
しかし弾が足りない時は逃げざるを得ない。ゾンビを避ける上で重要となってくるのが立ち回り。舞台となる館はややこしく繋がっていて同じ目的地にたどり着くまでにルートが何種類か用意されている。故に、こっちの道にはゾンビがいるから遠回りしてあっちから行こうとか、この道はよく使うからゾンビを倒しておこうとか、そういう考え方ができる。
マップは入り組んでいてややこしいが、何度も行ったり来たりさせられるので必然的に覚えてしまう。仕掛けの手順も一本道ではないので効率の良い動きを見つける深さもある。これほどタイムアタックのやりがいがあるゲームもないだろうなと感じた。
しかし、リメイクバイオでは厄介なことにゾンビを倒したまま放っておくと後に凶悪化して復活するため一度掃除した道でも安心はできない。死体かと思ったらいきなり起き上がってビビらせてくれる。復活を防ぐためにアイテム枠を更に圧迫して灯油とライターを常備したり、倒さずにスルーするか考えさせられたりと、ただでさえ頭を使うのに更に駆け引きが強まっている。
ヘッドショットを決めればそのゾンビは復活しないが、部位を狙って撃てるアクション型バイオと違ってこのゲームのヘッドショットは確率で決まる。アクション的なテクニックでどうこうできる幅は狭く、あくまで頭を使ったプレイを重視しているわけだ。
謎解きも一筋縄ではいかない。ショットガンを手に入れて意気揚々と部屋を出ようとしたら、スイッチが作動して天井が迫って来た時は思わず口あんぐり。それ以後も安易に仕掛けを触ってるとたびたび意表を付く展開が待っていて痛い目を見させられた。

要するに、本作のゲームデザインとゲームバランス、その他要素は、ゲームプレイを一辺倒で単調なものにせず、常に油断ならないサバイバルの世界を築き上げる、という一点に全て繋がっている。
百パーセントの正解はなく、常に機転と駆け引きを求められる。常にゾンビの存在は強大だし、何度も予想を裏切られる展開が起こる。プレイ中ずっと緊張感が抜けない。故にこの世界への没入感は半端じゃなく、どっぷりと入り込んでしまう。だからゾンビのあの姿が、あの唸り声が、館のあの雰囲気が、例のかゆうまのメモが、ダイレクトに恐怖の感情として揺さぶってくる。だからこのゲームは怖い。
極め付けはセーブの仕様。セーブするためのインクリボンの数がこれまた限られており、迂闊には使えなず中々チェックポイントを作れない。おかげでゲームオーバーへの恐怖が増しているばかりでなく、怖いからもうやめたいのにインクリボンの残りが気になってやめられないという葛藤を生み出している。簡単には現実世界に返してくれない鬼畜仕様。ここまで徹底されると作り手の方がホラーに感じる。

と、これまではとてつもなく制限が強くて束縛されたゲームとして語ってきたが、後半にさしかかるとこのゲームは一気に雰囲気が変わる。強武器が出揃い、弾薬がわんさか手に入り、キーアイテムでアイテム枠を圧迫されることも少なくなり、あれだけ抑圧されていたのが嘘かのようにゴリゴリ攻めまくれる。
サバイバルに次いでこのゲームの大きな特徴なのが、緊張からの解放、メリハリを大事にしていることだ。安全部屋に入った時のあの安心感。ゾンビを倒した時のあの爽快感。緊張感が持続しているからこそ、何気無い快感がカタルシスとして押し寄せる。この一時のカタルシスがあるからこそ、緊張感を耐え抜く事ができる。
いくらゲーム性が面白くてもずっと緊張しっぱなしではプレイヤーは疲れるだけだ。しかしそこにストレスからの解放を一瞬でも与えられる事でそれがモチベーションに繋がる。まさに飴と鞭。このメリハリの付け方がこのゲームは最高にうまい。
そして最後の展開。迫り来るタイラントに向かってロケットランチャーをぶっ放すあのカタルシス。美しい。あまりに美しすぎる流れだ。それまで付き纏った緊張感を爆風と共に綺麗さっぱり吹っ飛ばしてくれる完璧な演出。素晴らしすぎる。エンディングが流れている最中、あー終わったなぁという清々しい余韻に浸りっぱなしだった。

一番思ったのは、ゾンビが象徴となっているシリーズであるが、決してそれありきで作られているわけではないなというところ。
動きがもどかしくて、アイテムが少なくて、シューティングはほぼオートというゲーム性にあって、ジリジリとにじり寄ってきてねちっこいけど倒される時はあっさりという特性を兼ね備えたゾンビがたまたま当てはまっていただけなのだろう。アクション型のバイオでは敵がゾンビでなくなっていることを考えてもこの点はあまり執着してないように感じる。
ではバイオハザードシリーズで一貫として続けられているのは何かと言うと、サバイバルを追求したゲーム性だ。探索型バイオ、アクション型バイオ。それぞれやり方は違うが、サバイバル体験を作り出す、という意味では芯は同じ。シリーズ通してアイテムのやり繰りは欠かせない。ゾンビでもホラーでもなく、シリーズの本質はここにある、と俺は思う。
そういう意味でも、初代バイオハザードが名作と言われている理由が分かった。確かに濃厚なサバイバルを体験させてくれる作品だ。サバイバル性という意味では最近のアクション型バイオよりも遥かにレベルが高い。
あくまでプレイしたのはリメイクの方だが、ゲーム性やマップデザインは殆ど変わってないらしい。プレイステーションの初期で3D技術に試行錯誤しながら、ここまで完成されたゲームを作り上げる、三上という男とカプコンのスタッフのゲーム作りのセンスと情熱は並大抵のものではない。間違いなくこのゲームは傑作だ。

まぁでも、バイオハザード6とこの初代バイオハザード、完成度度外視でどっちが面白かったかと言うと、やはり俺はバイオ6と答えるね。やり方が全然違うから比較する意味もないけど。