とことん俺のツボを突いてくる
“トワイライトタウンに住む少年ロクサスは、毎日のように仲間のハイネ・ピンツ・オレットと共に過ごしていた。
彼らは、町の七不思議を解き明かしたり、海に遊びに行くためにバイトをしたり、町の悪ガキと争ったり、幽霊屋敷に行ったり、四人並んで時計台から夕陽を眺めたり、一緒にアイスクリームを食べたりして、残り少ない夏休みを楽しんでいた。
だが、ロクサスの身の回りでは数々の不可解な現象が起こるようになる。それは日を追うごとに激しくなり、終いには、自分の存在が仲間から認知されなくなってしまった。
導かれるようにして幽霊屋敷にやって来たロクサスは、ソラと出会って全ての過去を思い出し、そこで彼の夏休みは終わりを告げる”
PS2のRPG。開発はスクウェアエニックス。
プロローグ部分が長い。ひたすらに長い。そこでは主人公ソラのノーバディ(心を失った身体に持ち主の残留思念が宿ったもの。何故か主人公のノーバディは別人格になっている)であるロクサスを操作することになるのだが、このゲームをプレイしていた当時は誰だよこの餓鬼いつになったら本編が始まるんだよと思わずにはいられないほど導入が長くてイライラさせられた。
だが、このゲームのストーリーが、ソラの物語であると同時にロクサスの物語でもあると理解すれば、このプロローグ部分はロクサスというキャラクターを掘り下げる為の非常に重要なファクターであることが分かる。日常的な描写が多くてダラダラと長いのもロクサスを普通の少年であると見せるためであり、その描写自体も有り触れた青春の光景だけに感情移入がしやすいようになっている。
たとえばそれは、仲良し四人組みと過ごした日々であったり、四人で食べたアイスクリームであったり、海に遊びに行くためにバイトでお小遣いを貯めたことであったり、夕陽が照らす街の風景であったり、女の子が作ってくれたポーチであったり、夏休みの宿題で街の七不思議を皆で解明したことであったりする。
日常風景の演出が少年時代の甘酸っぱくなるようなあるあるネタで構成されていて、ノスタルジーな気分にさせられる。それだけに、当たり前な日常から自分だけその存在が消えてしまうという哀愁漂うロクサスの境遇により切なさがこみ上げてくる。ロクサスが消滅前に残した「俺の夏休み、終わっちゃったよ」の一言はあまりにも破壊力抜群。
このプロローグによりロクサスのキャラクターを魅力的なものにしたのと同時に、これ以後敵として出てくるノーバディを単純な悪としての存在ではないとプレイヤーに認識させることに成功している。
ハートレス・ノーバディの設定をストーリーの軸としているところも良い。心を失った存在というのはゲームでよくある設定だが、そこから更に踏み込んで、自分とは何者なのかという普遍的なテーマにまで及んでいる。
あくまでソラの脱け殻に過ぎないロクサスが「俺は俺だ」と叫ぶ彼の思いはとても切実だし、最後に自分はソラの一面でありそれも含めて自分であると理解する場面は清々しくもあり、儚い。
とにかく、ロクサスのキャラクターとハートレス・ノーバディの設定、ロクサス関連のストーリーが俺のツボを突いて仕方ないのだが、それ以上に俺の心を掴んで離さないのが音楽。
スクエニのゲームは大体音楽が良いがキングダムハーツはその中でも突出している。バックミュージックの域を遥かに超える存在感。音楽の力だけでゲームの魅力を何倍も高めている。特にロクサス戦のBGMは神がかっているとしか言いようがない。
ゲームとしては、戦闘はできることが増えたうえに爽快感が増していて更に面白くなっていた。
△ボタンを連打しているだけで主人公が勝手にイベントのようなアクションで動くというのはプレイヤーが操作している感じがなくて物足りないという見方もあるようだが、俺的にはこれでアリ。
そもそもキングダムハーツの戦闘システムは移動と回避とジャンプだけがアクション要素みたいなもので、攻撃に関してはコマンド選択という形になっているため操作のインタラクティブ性は重視されておらずRPG色が強い。なので手軽な操作でカッコ良いアクションを処理するのは全く不自然ではない。むしろこのタイプの理想形。DMCみたいなアクションゲームでやられると確かに物足りないけど、キングダムハーツのようなRPG色の強いアクションはこれで良い。
キングダムハーツの特徴の一つであるディズニーとFFの扱いは、オリジナルキャラクターの勢力が増したことでかなり存在感が失われている。
ディズニーの世界観を取り入れたマップも、ステージの仕掛けを活かしたアスレチック的な作りは薄まっており、せっかくの世界観が単なる背景と化していたのは残念。
ディズニーありきのキングダムハーツに魅力を覚えるか、オリジナルとしてのキングダムハーツに惹かれるか、捉え方の違いで大きく評価が別れそうな本作。ディズニーの要素が弱まりオリジナルの側面が強く打ち出された2であるが、俺としてはキングダムハーツはディズニーにあやかっただけのゲームになって欲しくないと思っているのでこの方向性の方が好み。
と言うよりも、オリジナルキャラクターとストーリーとハートレス・ノーバディの設定が俺の琴線に触れた。そういう側面から好きになったシリーズはキングダムハーツが恐らく唯一無二。基本的に俺はゲーム性や作り手のパッションからゲームに惹かれるタイプだが、キングダムハーツに関してはストーリーとキャラクターと音楽が醸し出す雰囲気に惹かれたとしか言いようがない。
携帯機にプラットフォームを移してから風呂敷を広げすぎてストーリーが訳の分からないことになっているが、そろそろ据え置きでナンバリングを出して話をまとめてくれることを切に願う。
“トワイライトタウンに住む少年ロクサスは、毎日のように仲間のハイネ・ピンツ・オレットと共に過ごしていた。
彼らは、町の七不思議を解き明かしたり、海に遊びに行くためにバイトをしたり、町の悪ガキと争ったり、幽霊屋敷に行ったり、四人並んで時計台から夕陽を眺めたり、一緒にアイスクリームを食べたりして、残り少ない夏休みを楽しんでいた。
だが、ロクサスの身の回りでは数々の不可解な現象が起こるようになる。それは日を追うごとに激しくなり、終いには、自分の存在が仲間から認知されなくなってしまった。
導かれるようにして幽霊屋敷にやって来たロクサスは、ソラと出会って全ての過去を思い出し、そこで彼の夏休みは終わりを告げる”
PS2のRPG。開発はスクウェアエニックス。
プロローグ部分が長い。ひたすらに長い。そこでは主人公ソラのノーバディ(心を失った身体に持ち主の残留思念が宿ったもの。何故か主人公のノーバディは別人格になっている)であるロクサスを操作することになるのだが、このゲームをプレイしていた当時は誰だよこの餓鬼いつになったら本編が始まるんだよと思わずにはいられないほど導入が長くてイライラさせられた。
だが、このゲームのストーリーが、ソラの物語であると同時にロクサスの物語でもあると理解すれば、このプロローグ部分はロクサスというキャラクターを掘り下げる為の非常に重要なファクターであることが分かる。日常的な描写が多くてダラダラと長いのもロクサスを普通の少年であると見せるためであり、その描写自体も有り触れた青春の光景だけに感情移入がしやすいようになっている。
たとえばそれは、仲良し四人組みと過ごした日々であったり、四人で食べたアイスクリームであったり、海に遊びに行くためにバイトでお小遣いを貯めたことであったり、夕陽が照らす街の風景であったり、女の子が作ってくれたポーチであったり、夏休みの宿題で街の七不思議を皆で解明したことであったりする。
日常風景の演出が少年時代の甘酸っぱくなるようなあるあるネタで構成されていて、ノスタルジーな気分にさせられる。それだけに、当たり前な日常から自分だけその存在が消えてしまうという哀愁漂うロクサスの境遇により切なさがこみ上げてくる。ロクサスが消滅前に残した「俺の夏休み、終わっちゃったよ」の一言はあまりにも破壊力抜群。
このプロローグによりロクサスのキャラクターを魅力的なものにしたのと同時に、これ以後敵として出てくるノーバディを単純な悪としての存在ではないとプレイヤーに認識させることに成功している。
ハートレス・ノーバディの設定をストーリーの軸としているところも良い。心を失った存在というのはゲームでよくある設定だが、そこから更に踏み込んで、自分とは何者なのかという普遍的なテーマにまで及んでいる。
あくまでソラの脱け殻に過ぎないロクサスが「俺は俺だ」と叫ぶ彼の思いはとても切実だし、最後に自分はソラの一面でありそれも含めて自分であると理解する場面は清々しくもあり、儚い。
とにかく、ロクサスのキャラクターとハートレス・ノーバディの設定、ロクサス関連のストーリーが俺のツボを突いて仕方ないのだが、それ以上に俺の心を掴んで離さないのが音楽。
スクエニのゲームは大体音楽が良いがキングダムハーツはその中でも突出している。バックミュージックの域を遥かに超える存在感。音楽の力だけでゲームの魅力を何倍も高めている。特にロクサス戦のBGMは神がかっているとしか言いようがない。
ゲームとしては、戦闘はできることが増えたうえに爽快感が増していて更に面白くなっていた。
△ボタンを連打しているだけで主人公が勝手にイベントのようなアクションで動くというのはプレイヤーが操作している感じがなくて物足りないという見方もあるようだが、俺的にはこれでアリ。
そもそもキングダムハーツの戦闘システムは移動と回避とジャンプだけがアクション要素みたいなもので、攻撃に関してはコマンド選択という形になっているため操作のインタラクティブ性は重視されておらずRPG色が強い。なので手軽な操作でカッコ良いアクションを処理するのは全く不自然ではない。むしろこのタイプの理想形。DMCみたいなアクションゲームでやられると確かに物足りないけど、キングダムハーツのようなRPG色の強いアクションはこれで良い。
キングダムハーツの特徴の一つであるディズニーとFFの扱いは、オリジナルキャラクターの勢力が増したことでかなり存在感が失われている。
ディズニーの世界観を取り入れたマップも、ステージの仕掛けを活かしたアスレチック的な作りは薄まっており、せっかくの世界観が単なる背景と化していたのは残念。
ディズニーありきのキングダムハーツに魅力を覚えるか、オリジナルとしてのキングダムハーツに惹かれるか、捉え方の違いで大きく評価が別れそうな本作。ディズニーの要素が弱まりオリジナルの側面が強く打ち出された2であるが、俺としてはキングダムハーツはディズニーにあやかっただけのゲームになって欲しくないと思っているのでこの方向性の方が好み。
と言うよりも、オリジナルキャラクターとストーリーとハートレス・ノーバディの設定が俺の琴線に触れた。そういう側面から好きになったシリーズはキングダムハーツが恐らく唯一無二。基本的に俺はゲーム性や作り手のパッションからゲームに惹かれるタイプだが、キングダムハーツに関してはストーリーとキャラクターと音楽が醸し出す雰囲気に惹かれたとしか言いようがない。
携帯機にプラットフォームを移してから風呂敷を広げすぎてストーリーが訳の分からないことになっているが、そろそろ据え置きでナンバリングを出して話をまとめてくれることを切に願う。
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