人が、物を作るということ






ゲーム業界で働く人々にスポットを当てた漫画。作者はうめ。

“ゲーム業界最大手であるソリダスワークスの近くにある小さなゲーム制作会社、スタジオG3。そこの企画チーフである天川太陽は、元ソリダスワークスの社員で、頑に自分が面白いと思うゲームを作ろうとするゲームクリエイター。ソリダスの企画する次世代機ゲーム共同開発、SOUPに参加し、電算花組と共に「デスパレードハイスクール」を開発していた。
しかし、天川の作ったゲームに影響を受けた少年により発生した発砲事件で息子を殺されたというジークフリードがソリダスの上層部を焚き付け、ソリダスのコンシューマー部門は縮小。更にジークフリードは自身が発案した、表現の倫理規定の策定および審査を行う「テミス」を業界に導入しようとしていた。それはゲームだけに収まらず、映画や漫画など、コンテンツ業界全体に及ぼうとしていた。”

作りたいものを作る。たったそれだけのことが、どれだけ難しいことか。トイボックスの登場人物達は、厳しい現実問題にさらされながらも、あくまで自分達の信じる面白いを求めようとしている。その姿は、あまりに愚直で、切実で、儚い。
パブリッシャーからの意向。ユーザーの趣向。売り上げの問題。表現の規制。納期。予算。etc... あまりにも多すぎる、作り手の縛り。作り手が作りたいものをそのまま作れることなんて、恐らく殆どないのだろう。
しかしそれも当然のことだ。お金が関わる以上、作り手の信念やクリエイティビティよりもビジネスやユーザーが優先されるのは当然であり、大事なのはその兼ね合いだ。会社や遊んでくれるユーザーが存在して、初めてゲームは作れるのだから。そうだと理解していながらも、それでも果てしないロマンを追い求めてしまうのがクリエイターの性なのだろう。

しかし俺は、クリエイターのその姿勢を全面的に支持したい。面白いゲームはノウハウと技術さえあればある程度作れる。だが、魅力あるゲームはスタッフの揺るぎない信念がなければ作れないからだ。
たまに、本当にたまに、スタッフの信念、拘り、パッションが一切削がれずに出来上がったゲームを見かけることがある。そうしたゲームには、妥協を重ねて作られたゲームにはない、特別なパワーを、確かに感じる。得てしてそうしたゲームは作り手の独りよがりなものになりがちであり、周りの求めるものとは乖離していることが多く酷評されがちだが、しかしそのゲームにはスタッフの混じり気のない純粋な思いが込められた、かけがえのないオンリーワンの魅力がある。
結局それはスタッフの身勝手な自己満足だと言われるかも知れない。金を貰っておいてアーティストを気取るなと言われるかも知れない。だけど、これだけは断言出来る。パブリッシャーの意向とか、ユーザーの意見とか、納期とか、そうした外的要因を乗り超え、自分の拘りを突き抜けた、その身勝手で自己満足なオンリーワンの部分に、人を惹きつける魅力というものは宿るものだ。それは時として、結果として現れるゲームの面白さよりも人を感動させ、夢中にさせる。

ゲームは無個性な機械が作っているんじゃない。色々とややこしいものを頭に詰め込んだ、人が作っているんだ、ということをこの漫画は教えてくれる。