原恵一はやっぱり上手いなぁ
“死んだはずの「僕」は、抽選に当たって生まれ変わり、つい先日自殺を遂げた小林真という中学生としてもう一度人生をやり直すチャンスを与えられた。”
変わるって難しいよな。
ネガティブ思考。飽きやすい。意思が弱い。人とコミュニケーションが取れない。自分の意見が言えない。すぐイライラしてしまう。など。
人間は誰しも自分の中で変えたい嫌いな部分というものがあると思うが、自分を変えるというのは言うまでもなく難しい。
今までの自分を否定することになるので何となく侮辱じみたものを感じるし、
それまでの自分の印象が周りには固定概念として定着してしまっている中で、自分の違った面を見せるのは恥ずしくもある。
変わるにはとにかく第一歩を踏み出さないと始まらないのだが、この第一歩と言うのが特に難しいもので、
たとえその自分の中の負の面が嫌で嫌で仕方なくて改善したいと思っていても、今まで自分はそうすることが正しいと思ってそうしてきたわけで、それは半ば癖だったり防御反応として自分の中で刷り込まれてしまい、どんなに自分の中で決心したところで、いざ実践しようとすると脳とはまた別の所が反応して、押し止まったり暴走したりしてしまう。
カラフルの主人公は、身体が小さくて内気で友達がいない中学生。当然このままで良いと彼は思っていないが、自分の中でバリアーを張ってしまい自分が変わることを諦めてしまっている。
そんな彼をこの映画では、自殺させて他の誰かの魂が転生することでそれまでの内気な性格を一変させるという、半ば強引なやり方で、小林真という人物を変えている。
結局、変わるには一度自分を捨てないと駄目なんだよな。自分の中で勝手に世界が構成されてしまって、自分の中で勝手に常識を作ってしまうと、そこから抜け出せなくなる。
自分の常識に合わないことを求められると、端から見るとそれは簡単なことでも、自分の中ではとてつもないハードルとしてそれが立ちはだかる。
その自分だけの常識や世界を綺麗さっぱり捨て去れたら良いんだけど、何十年にも及ぶ人生経験に基づいて培ってきた自分ルールが、そんな簡単に消しされるわけもなく。
自分を捨てざるを得ない状況。一切の妥協を許されない本当の土壇場にでも追い詰められない限り、人は中々変われない気がする。
しかし、この映画は変わることばかり良しとしているのでなく、自分らしさの大切さも同時に説いている。
他人に合わせて取り繕った自分が本当の自分ではなく、誰にでも他の側面がある。それは恥ずかしい部分かも知れないが、それを含めて自分である。
変わるのは確かに難しい。でも、人は色々な面があって当たり前だと受け入れられるようになれたら、また違った生き方が出来るかも知れない。
この映画はそれを伝えてくれている。
魂が転生するという設定以外はファンタジー的な要素はなく、反抗期の子供による親への反発、どんなに拒絶されても子供を愛してやまない親、友達と過ごす時間といった、
日常の当たり前のようにある風景を当たり前のように実直に描く上手さは流石原恵一監督。お見事。
反抗期に加えて、母親が不倫していた事実を知ってしまった真のかーちゃん虐めは激しく、それでも母親は愛情を持って接するのだが、母親らしいことをされればされるほどイライラしてしまう真の姿は、
親に縛られたくない、親に反発したい、でも親から自立出来ない思春期の子供の複雑な感情を良く表しており、
それをイマイチ理解出来ず、子供を思い過ぎるが故に必要以上に構ってしまう母親の、この微妙なすれ違いっぷりが何ともリアルで痛々しくて良く描けている。
それだけに、今まで殆ど母親の作る食事には手を付けようとしなかった真が、後半の家族と鍋を囲うシーンでようやく心を開いてお肉を熱そうに食べる場面はちょっと胸にくるものがあった。
テーマや日常、人物の描き方は素晴らしく、アニメーションも綺麗なのだが、一つ納得出来ないのはあまりにも都合が良すぎる友人の存在。そりゃああいう子がいたら世の中に一人ぼっちは居ませんって。
変わるって難しいよな。
ネガティブ思考。飽きやすい。意思が弱い。人とコミュニケーションが取れない。自分の意見が言えない。すぐイライラしてしまう。など。
人間は誰しも自分の中で変えたい嫌いな部分というものがあると思うが、自分を変えるというのは言うまでもなく難しい。
今までの自分を否定することになるので何となく侮辱じみたものを感じるし、
それまでの自分の印象が周りには固定概念として定着してしまっている中で、自分の違った面を見せるのは恥ずしくもある。
変わるにはとにかく第一歩を踏み出さないと始まらないのだが、この第一歩と言うのが特に難しいもので、
たとえその自分の中の負の面が嫌で嫌で仕方なくて改善したいと思っていても、今まで自分はそうすることが正しいと思ってそうしてきたわけで、それは半ば癖だったり防御反応として自分の中で刷り込まれてしまい、どんなに自分の中で決心したところで、いざ実践しようとすると脳とはまた別の所が反応して、押し止まったり暴走したりしてしまう。
カラフルの主人公は、身体が小さくて内気で友達がいない中学生。当然このままで良いと彼は思っていないが、自分の中でバリアーを張ってしまい自分が変わることを諦めてしまっている。
そんな彼をこの映画では、自殺させて他の誰かの魂が転生することでそれまでの内気な性格を一変させるという、半ば強引なやり方で、小林真という人物を変えている。
結局、変わるには一度自分を捨てないと駄目なんだよな。自分の中で勝手に世界が構成されてしまって、自分の中で勝手に常識を作ってしまうと、そこから抜け出せなくなる。
自分の常識に合わないことを求められると、端から見るとそれは簡単なことでも、自分の中ではとてつもないハードルとしてそれが立ちはだかる。
その自分だけの常識や世界を綺麗さっぱり捨て去れたら良いんだけど、何十年にも及ぶ人生経験に基づいて培ってきた自分ルールが、そんな簡単に消しされるわけもなく。
自分を捨てざるを得ない状況。一切の妥協を許されない本当の土壇場にでも追い詰められない限り、人は中々変われない気がする。
しかし、この映画は変わることばかり良しとしているのでなく、自分らしさの大切さも同時に説いている。
他人に合わせて取り繕った自分が本当の自分ではなく、誰にでも他の側面がある。それは恥ずかしい部分かも知れないが、それを含めて自分である。
変わるのは確かに難しい。でも、人は色々な面があって当たり前だと受け入れられるようになれたら、また違った生き方が出来るかも知れない。
この映画はそれを伝えてくれている。
魂が転生するという設定以外はファンタジー的な要素はなく、反抗期の子供による親への反発、どんなに拒絶されても子供を愛してやまない親、友達と過ごす時間といった、
日常の当たり前のようにある風景を当たり前のように実直に描く上手さは流石原恵一監督。お見事。
反抗期に加えて、母親が不倫していた事実を知ってしまった真のかーちゃん虐めは激しく、それでも母親は愛情を持って接するのだが、母親らしいことをされればされるほどイライラしてしまう真の姿は、
親に縛られたくない、親に反発したい、でも親から自立出来ない思春期の子供の複雑な感情を良く表しており、
それをイマイチ理解出来ず、子供を思い過ぎるが故に必要以上に構ってしまう母親の、この微妙なすれ違いっぷりが何ともリアルで痛々しくて良く描けている。
それだけに、今まで殆ど母親の作る食事には手を付けようとしなかった真が、後半の家族と鍋を囲うシーンでようやく心を開いてお肉を熱そうに食べる場面はちょっと胸にくるものがあった。
テーマや日常、人物の描き方は素晴らしく、アニメーションも綺麗なのだが、一つ納得出来ないのはあまりにも都合が良すぎる友人の存在。そりゃああいう子がいたら世の中に一人ぼっちは居ませんって。
コメント